我が家の戦国武将設定。
超賛同→
「諸説」ある人は自分の都合のいいようにとっていたりしています。
【】内はこのサイトで出てくる別名。


↓生年順に並べています。
しかし作成中です。
編集中なのでお見苦しいところもあると思いますがどうぞご了承ください。

☆がついている人は画像クリックで服装詳細。

武田信昌・たけだ のぶまさ(1447〜1505)
中くらい
荻原昌勝・おぎわら まさかつ(1461〜1535)
小さい
史実→官位は「常陸介」。
信虎の軍師で弓矢の指南者、晩年には太郎晴信の養育にもあたっていたとか。
妻は飯富兄弟の伯母にあたるらしい。

・杖の代わりに青竹常備、実はその竹の中には…?
・信縄とマブダチ
・←地顔
・信縄・信虎に対してかなり横柄だが、それを補ってあまりあるほど有能なので周りはスルー。
「この顔は素ですじゃよ?」
武田信縄・たけだ のぶつな(1471〜1507)
ひょろ長い
史実→官位は「左京大夫」「陸奥守」
「のぶなわ」じゃないよ「のぶつな」だよ。
信虎の父。病弱で、父信昌には嫌われていた。
家督を譲られた後、その父と弟信恵に反乱を起こされるが、平定。しかしその直後自分も病死。

・エロ親父、性欲魔人
・息子大好き
・基本的に自己中
「ご〜〜ろ〜〜〜う〜〜〜〜vV父の胸へ飛び込んでおいで〜〜〜vv」
油川信恵・あぶらかわ のぶよし(14??〜1508)
ガチムチ中背
史実→官位・不明?
名前は「のぶしげ」と読む説もある。
信縄の実弟で、父信昌に愛されて育つ。
信縄が家督を継いでからは、父とともにたびたび反乱を起こす。
父信昌が病死すると一時は和睦するが、信縄が死んだのちその嫡男信直が家督を継ぐことを不服とし、弟たち親族と共に反乱を起こす。しかし信直に居城を夜襲され、戦死。
晴信の側室でたくさんの子供を産んだ油川夫人はこの人の孫。

・いつもむっつりした顔をしている
・基本父には従順なので甘やかされる
・いわゆるヤンデレってやつ?
・兄者(信縄)のものは全部ほしい
・早い話が信縄大好き。ただ愛がゆがんでいる
「兄者のものはひとつ残らず俺の物だ、いくら息子だろうと信直なんぞに渡してたまるか」
大井信達・おおい のぶさと(????〜????)
中肉中背
横田高松(1487?〜1550)
平均小さ目
☆板垣信方・いたがき のぶかた【弥次郎】(1489〜1548)
中肉中背
史実→官位は「駿河守」
信虎の代から譜代の家臣。太郎晴信の傅役(早い話が教育係)。
信虎追放で大活躍をしたうちのひとり。
甘利虎泰と共に最高職の地位にあり、「両職(りょうしき・筆頭家老的な)」と呼ばれた。
昔から有能だったが、晩年になると自分勝手な行動が多くなり、晴信最初の負け戦、上田原の合戦でも命令を聞かず勝手に首実検(討ち取った人間が誰であるかを確認すること)を行い、奇襲を受け討死。

・典型的な苦労人。胃痛持ち
・若い頃は不良だったが、信虎にあてられておとなしくなったのか今は見る影も無い。
・唯一の安息である煙草がなかなかやめられない
・天狗と仲良し
「若様、私ちょっと胃痛がひどいので失礼します…」/「…こンの馬鹿殿!!!!」
宇佐美定満・うさみ さだみつ(1489〜1564)
小さい
史実→官位は「駿河守」
上杉家家臣。謙信の軍師。
1564年、以前敵対したことのある長尾政景を屠るため、自らの命を賭して共に溺死。

・謎の微笑を浮かべながら、常に傍観者
・働いたと思ったら鬼畜
・相手がボケてるのがわかってもツッコまない
・つまり鬼畜
「え?助けろって?ああ…頑張ってくださいね^^」
小畠虎盛(1491〜1561)
ムキムキ中背
☆武田信虎・たけだ のぶとら【五郎・信直】(1494〜1574)
細マッチョひょろ長い(?)
史実→官位は「左京大夫」「陸奥守」
信縄の息子、晴信の父。この人の代から甲斐の国は天下統一の夢へ向けて動き出す。
好きなものは虎と女と京都。
自分の名前に入れたり、城下町を京都風に整備したり、女好きは言わずもがな。子供かなり多い。
なぜか長男・晴信を疎み、次男・次郎信繁に家督を譲ろうとする。それ系の逸話は多い。逸話といえばこの人はなぜか「いい」逸話がない。
反乱の絶えない甲斐の国を武力で見事統一。そしてそのまま他国にも打って出るが、自分ちの状況を省みなかったので、晴信と晴信寄りの家臣により駿河に追放される。そして駿河でも子作り。
しかし今川家で反乱起こそうとして追い出され、京都にいったりしながら、最期は信濃で老衰。遺骸は甲斐の国に葬られた。

・美人。なので女に困ったことがない
・無口。性欲旺盛。
・正室好きだけど女が全般的に好き
・つまり不器用。
・戦いがすき。戦のことに関しては神がかってる
・目線だけで人を恐れさせることができるが、荻原常陸にだけは敵わない。
「お主が儂をどう思おうが知ったことではないが、儂はお主を手放したいとは思わん」
☆大井夫人【貞(さだ)】(1497〜1552)
ちょっと大きい
史実→信虎の正室、定恵院・晴信・信繁・信廉の母。
父信達は文化人として有名で、娘である彼女も文化人として育つ。
もともと信虎と信達は敵対していたが、和睦の証として信虎に嫁ぐ。
粗暴な性格で知られる信虎とは裏腹に、穏やかでしっかりとした人間と伝えられる。
信虎追放の際には、側室たちが共に駿河へと赴く中、一人甲斐へ残った。
晴信は母親の言うことはよく聞いていたよう。マザコ(ry
実の息子信廉が描いた大井夫人の絵が残っていますが、見るからにかなり優しそうな顔をしておいでです。タレ目。かわゆい。

・性格美人。ものすごく「育ちがいい」。
・母の鑑、武田のアイドル。多分親衛隊とかある。
・父さんとらぶらぶ
・館内で信虎を恐れない数少ない人間の一人。
・信虎の女好きは仕方ないと諦めつつも、やっぱり悲しい
「お館様!ちょっ…、ま、まだお昼なんですけどぉぉぉおおおお」(ドップラー効果)
原虎胤(1497〜1564)
ガチムチ小さい
☆甘利虎泰・あまり とらやす【九衛門】(1498〜1548)
ガチムチ大き目
史実→官位は「備前守」
板垣信方とともに「両職」をつとめる。
「駆け引きのうまさで甘利の右に出る奴はいない」「荻原常陸介にも劣らないぐらいスゲェ奴」とか褒められまくり。
そのあまりの強さに「猛牛」と称され、敵味方から畏怖の念を集めていた模様。
しかし、上田原の戦いにおいて、本陣を守るために奮戦するも討死。

・よく分からないところでキレる、とにかくキレる。頭に血が上るのが早い
・駆け引きの妙は〜…と言われるほど頭はいいし良識はあるのだが、板垣のことになると盲目
・酔えば脱ぎ上戸そして告り上戸(被害者:全部板垣)
・なぜか信虎に気に入られ、大井夫人とも歳が近いためか気に入られる。
・というわけで武田夫妻の相談役
・本人はその役割に満足しているらしい、ただ苦労も多い
「黙れ、お前がそれ以上板垣を侮辱するのならば、儂はきっとお前を切り捨てるのに躊躇しない」
室住虎登(????〜????)
ひょろ長い
山本勘助・やまもと かんすけ(1500〜1561)
小さめ
史実→大河の主役になるほどの「名軍師」だったりするが、それは物語の話で実際どんな人間だったかはイマイチ不明らしい。
色々な国を放浪した後、甲斐武田家に仕官し、破格の待遇で召抱えられる。
築城の名手で、馬場信春の師匠らしい。
第4次川中島の戦いで、かの有名な「啄木鳥戦法」を提案するが、失敗を悟り、自殺同然に上杉軍に突撃、討死。

・体中傷だらけ。指が何本か無かったりする
・無表情だが結構しゃべる
・変装得意、色々な方言得意
・板垣、甘利とは茶飲み仲間で、虎綱とは昼寝仲間
・虎綱とは周りから見ると「そういう」関係に見えるが、実際は「友達以上」なだけ。
・そういうわけで、虎綱の保護者(笑)の信友に敵視されているが完全にスルーしている。
「…ん?ああ、すみませんお館様、聞いてなかったんでもう一度」
多田満頼(1501〜1563)
普通。
直江景綱・なおえ かげつな(1509〜1577)
小さめ
史実→官位は「大和守」
謙信の父、兄、謙信と三代にわたって長尾家に仕えた宿老。
武勇の士の多い上杉家の中で、数少ない内政に優れていた人物。
直江兼続の嫁の父ちゃん。

・まじめが空回りする人
・なんというか小学校の学級委員(女子)っぽい役回り。
・いつでもはっちゃけてる上杉家唯一のストッパーだが、一番はっちゃける酒宴の席になると酒に弱いので役に立たない(結果無能)(かわいそう)
・いつも必死
「はいそこ!ぐずぐずしてないで働け!」
柿崎景家・かきざき かげいえ(1513〜1575)
中背
史実→官位は「和泉守」
上杉家きっての猛将のくせして、内政にもかなり優れていたとかいうチート武将
かなり大活躍したが、なんか最期には疑問が残るらしい

・とりあえず美形ってことでいいと思う
・弥太郎の歯止め役。ボケとツッコミという説もある
真田幸隆・さなだ ゆきたか(1513〜1574)
がっしりでかい
史実→官位は「弾正忠」
武勇よりどっちかというと謀略で有名。
その頭のよさを買われ、山本勘助の推挙で武田家に仕え始めた(と、いわれる)。
元々武田家と争っていた家なのに、仕え始めてから譜代同様の扱いを受けていたのはその為ともいえる。
それからは「攻め弾正」とあだ名されるほどの恐ろしい知力をもって、いくつもの城を戦わずして落としていく。

・勘助とはマブダチ。
・ものすごい無口・無表情。基本看板会話。そして字が綺麗。
・声が沢山ある
・億劫がり
・虎昌繋がりで昌景とは犬猿の仲
飯富虎昌・おぶ とらまさ(1514〜1565)
普通
史実→官位は「兵部少輔」
一度信虎に謀反を起こしていたりするが、なぜだか許されている。
両職につぐ家老で、両職が上田原において戦死した後は、武田家においてかなりの重きを為していた。
武田家の代名詞ともいえる「赤備え(武具一式を赤に統一した軍団)」を最初に率いた人物。その勇猛さに「甲山の猛虎」ともあだ名された。
そんなわけで晴信の嫡男・義信の傅役もつとめる。
しかし、義信が父晴信に対して謀反を企て、その罪を自分が全部背負うために切腹した。らしい。

・普段はほんわかしているがなかなか頼れる存在
・だが被害妄想が激しい
・ミスター体操座り
・常に半目だが戦に出るとかっぴらかれる。怖い。
・大食い。どんぶり五杯は軽い。
・弟大好きv
・幸隆のことはいい友達だと思っている
・好きな人間にはとことん甘い。 「源四郎っ!一緒に飯たべよう?」
馬場信春【教来石景政】(1514〜1575)
ガチムチでかい
史実→官位は「美濃守」
定恵院【恵(めぐ)】(1519〜1550) ちょっと大きめ
三条夫人(1521〜1570)
小柄
☆武田晴信【太郎・信玄】(1521〜1573)
中肉中背。細め
内藤昌豊(1524〜1575)【工藤佑長、修理介】
大きめ。
☆武田信繁【次郎】(1525〜1561)
でかい
おつやの方(15??〜1575)
普通
秋山信友(1527〜1575)
細め大きい
☆春日虎綱【源助・高坂昌信】(1527〜1578)
小柄
☆山県昌景【飯富源四郎】(1529〜1575)
超小型
☆上杉謙信【景虎】(1530〜1578)
普通
原昌胤(1531〜1575)
中肉大きめ
☆武田信廉【信連・孫六・逍遥軒】(1532〜1582)
中肉中背。
板垣信憲【弥次郎】(15??〜1553)
ガリ。ひょろ長い
甘利昌忠【藤蔵】(1534〜1572?)
大きめ。
真田信綱(1537〜1575)
大きい
武田信実【河窪信実】(15??〜1575)
大きい
武田義信【太郎】(1538〜1567) 普通
☆一条信龍【九郎】(1539〜1582)
ひょろ長い
穴山信君【勝千代・梅雪斎】(1541〜1582)
中肉低め
海野信親【次郎・竜芳】(1541〜1582)
大きめ
真田昌輝(1543〜1575)
普通
土屋昌次【平八郎】(1544〜1575)
大きめ
武田勝頼【諏訪四郎・四郎】(1546〜1582)
ちょっと大きい
真田昌幸(1547〜1611)
低い
武田信豊【長老】(1549〜1582)
低め
上杉景勝【喜平次】(1556〜1623)
がっしり大きい
土屋昌恒(1556〜1582)
細身大きめ
仁科盛信【五郎】(1557〜1582)
細マッチョ長い
織田信忠【奇妙丸】(1557〜1582)
細マッチョ長い
武田信澄(1560〜1576)
細身・低め
直江兼続【与六】(1560〜1620)
中肉中背
武田松【松姫】(1561〜1616) 小さめ
武田阿菊【菊姫】(1563〜1604)
大きめ

そのた見た目だけは決まってる人
・武田周辺・
武田信友・菊姫・嶺松院
・ほか・
村上義清
今川義元・北条氏康・北条氏政・
織田信長・豊臣秀吉・豊臣秀長・徳川家康・竹中重治・黒田如水・濃姫・おね・藤堂高虎
大谷吉継・小西行長・石田三成・福島正則・加藤清正

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